Lahotaru’s blog

ある中途失聴の障害者のブログ/南の島への移住の夢を追う日々の記録

現在地のこと、ハンディキャップのこと。

昨日は父を見送ったことをきっかけに、あと30数えるまでに、でっかい夢見て叶えるブログを書こうと決めたわけですが、目的地を決めて進む前に、出発点である今の自分の現在地について確認しておいても良いかなと思いました。



私が自分がどんな人か考える時、まず必ず持っているハンディキャップについて思います。

きっとす~ごくコンプレックス持ってて、いつもいつも気にしているからなんだと思います(^^;



私は、耳の聴こえが悪く、日常生活の大半を補聴器を架けて暮らしています。

 

他のあらゆるハンディキャップと同様に、一概に耳の聴こえが悪い人と一括りにされても、聴こえの程度や聴こえなくなった年齢や経緯など、千差万別で、それぞれに様々なハンディキャップを感じながら暮らしているってもんです。



私の場合は、“そうなった”原因ははっきり特定出来ていません。

おそらく子供の頃の高熱かなにかが原因で、神経系に回復不可能なダメージを受け、そこに加齢なんかの要素が加わり少しずつ進行して現在に至っているのではないかというのが病院で下された診断です。

 

あちこち病院を回りましたが、どうやら今の医学では治療が出来ないというとこで一応納得してます。



そしていま、いったいどれくらい耳が悪いかというと、全然まるで音が聴こえないってわけではないんですね。



どんな感じかというと、たとえば補聴器なしでは電車の車内アナウンスは“それなりになんだか音として”ああなんか言ってるなあ”って程度には聞こえます。



でも内容を“聴き分けること”は出来ません。

だから補聴器なしで、次の駅がどこなのかを知るには、キョロキョロして答えを探さなくちゃいけないんです。

ちっぽけなことかも知れませんが、以前は出来たことが出来なくなるってのは、たとえばこんなことでも想像以上に不便だったりするもんなんですね( ̄0 ̄;)





高校生くらいまでは、わりと聴こえていたので、たまに友達から耳悪くね?って突っ込まれる程度で、学校の授業なんかは普通に受けてました。



大学は一浪して入ったのですが、予備校の講義は半分くらいしか聴こえてなかったように思えます。

この頃からですかね、困ったなあと思うようになったのは。

それでも補聴器を使うことに個人的にものすごく抵抗があって、聴こえないままで済ませてしまいました。

なまじっか要領良かったのか、学校や予備校の勉強なんて、聴こえなくても教科書と板書だけあればなんとかなったりもしました(^.^)

 

当時の私には、補聴器を使う人の世界と、そうでない人の世界に大きな隔たりというか壁が感じられました。

今もまるでないかと言ったら、決してそんなことないかも。

壁は感じるけど、よじ登ってあっちとこっちでこんにちはって挨拶くらいは出来るようなれました。

だって、そうならなくちゃ生きて行けなかったから(^_^;)

 

 

そしてその後も聴こえてるんだか、聴こえていないんだかよく分からないまま、曖昧でうやむやなまま日常生活を送ってました。



いま考えてみると、取り返しのつかないくらい勿体無い時間だったと思います。

 

だからもし、かっての私のように補聴器を掛けることに躊躇いがある方がいたなら、迷うわずこうアドバイスします。

…補聴器、今すぐ使い始めた方が良いですよ!

 

告白すると正直な話、私ははじめ顔が赤くなるくらい恥ずかしかったです。

誰になんと言われようと、こんなのイヤでした。

フツー側からフツーじゃない側へ放り込まれるのが。

昨日まで同じ立場だった仲間同僚から、社会的弱者として見られ、労われるなんてだって哀れじゃないですか?

出来ることなら消えてしまいたいとすら思いました。



でも、私の場合は全て単なる私の勘違いでしかなかったんですね。

悲しいかな、自分で思っているほど周りにとって全然 大した問題じゃないんですね。

俺が補聴器架けてようがいまいがなんてことは(^^;

 

だからあなたもほんの一瞬勇気を出して最初の一歩を踏み出せば、きっと次の一歩、更にその次の一歩へと繋がるはず。

 

そして歩き始めて振り返れば、きっとあるのは、小さな殻にとじ込もっていた自分への後悔だけ。

待ってるのは良いことばかりですよ(^.^)

 

百歩譲ってたとえ悪いことがあったとしても、良いことの方が全然多いです…絶対!



その最初の一歩踏み出せるのは、いつも自分だけ。

俺も歩き始めます。